横浜地方裁判所 平成8年(行ウ)43号 判決 1999年6月28日
原告
杉田漁友会
右代表者会長
志田成司
原告
髙島建雄
(ほか五四名)
右五六名訴訟代理人弁護士
陶山圭之輔
同
岡村共栄
同
稲生義隆
同
小沢弘子
同
大川隆司
被告
横浜市長 髙秀秀信
右訴訟代理人弁護士
綿引幹男
主文
一 本件訴えをいずれも却下する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第三 争点に対する判断
一 判断の順序
原告らは、本件条例に基づいて原告らの船舶が移動させられるおそれが切迫しているので、その差止めを本件条例上移動の権限のある行政庁の被告に対して求めているものであり、この訴えはいわゆる予防的不作為訴訟に該当する。このような訴えについては、行政庁の第一次判断権を侵害しないようにするために、厳格な要件を満たすときに初めて可能であり、それが満たされないときには訴えは不適法となると解されている。そこで、このような要件を満たすかどうかを審査する必要がある。
二 本件訴えの適否
1 予防的不作為訴訟の本件における適用の基本問題
即時強制をしないように求める訴えは、権限のある行政庁に対して一定の不作為を求めるいわゆる予防的不作為訴訟であるが、予防的不作為訴訟は、行政の第一次判断権を侵害するおそれがあるので、一般に<1>行政庁が当該行政処分をなすべきこと又はなすべきでないことが法律上覊束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないために第一次判断権を行政庁に留保することが必ずしも重要でないと認められること、<2>事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前の救済の必要が顕著であること、<3>他に適切な救済方法がないことの三要件が満たされるならば、可能であると解されている。
そこで、この要件に本件の法律関係を当てはめる場合の基本的な問題状況を見ると、被告がまず本件条例九条一項の指導、勧告又は移動命令のどの処分を採用するかについては、船舶が放置されている公共の水面の状況、放置されている船舶の規模、それによる危険等の状況、放置に至る船舶所有者の対応等の諸般の事情を勘案して、裁量的な判断がされると解される。仮に、これらのうち指導又は勧告があったとした場合には、被告は、右の諸事情の他、その後の違反者の対応及び訴訟提起の有無・内容をも踏まえ、さらに移動命令(監督命令)までを発するかどうか及び即時強制の措置を講ずるかどうかの判断を行うことになるが、それには行政の裁量判断が必要となると解される。また、これらの判断に際しては、原告らがそもそも船舶を放置しているかどうかの認定も問題となる。
2 聖天川地区原告らに対する被告の権限行使の可能性
1のような基本的な視点を背景にして、まず、聖天川地区原告らの置かれている状況を検討する。
「船舶の放置に関する横浜市の取り組みについて(お知らせ)」と題し「本件条例が制定されたこと、当該船舶が引き続き現在の場所に係留されていると、放置船舶に該当し、この条例により取り扱われること」を記載した横浜市名義の文書が平成八年三月ころ原告らの船舶に配布された事実が認められる(平成八年(行ウ)第四三号事件の甲三)。また、「船舶の適正な係留・保管場所への移動について」と題し「本件条例が本件四月に施行されたこと、横浜市内の公共の水面には許可等のない船舶の係留・保管はできないこと、貴殿の船は速やかにマリーナなどに移動すること、現在の場所に船舶を係留していると、強制的な移動の措置が行われることがあること」を記載した被告名義の文書が平成八年五月ころ原告らの船舶に配布された事実が認められる(平成八年(行ウ)第四三号事件の甲五の一)。そして、本件訴訟が提起されたことが影響してか、その後は特筆すべき事態の進展があったことを示す証拠はない。
これらの文書の文言とこれらの文書には特定の宛名の記載がないことからすると、これをもって少なくとも被告が聖天川地区原告らに対し船舶の移動命令を発したものということはできない。もちろん、被告は即時強制をすることができるという立場でこれらの文書の配布をしていたのではあるが、このような状況を前提に今後の被告の態度を予想すると、そもそも被告が現時点で聖天川地区原告らの船舶の移動命令を発出すべきでないかどうか、発出すべきでないのに被告がこれを発出することが確実であるかどうか、また発出することが確実であるためにそれをしないようにすべきかどうか等が一義的に明確であるということはできず、権限行使の有無、時期、態様等については、被告の裁量判断の下に置かれているというべきである。
3 富岡川地区原告らに対する被告の権限行使の可能性
次に、富岡川規地区原告らの状況を検討する。
富岡川地区原告らのうち、原告片桐貞介(原告番号48)、原告横山徹(原告番号51)、原告加藤英明(原告番号54)及び原告松下清美(原告番号55)の四名は平成一〇年一月二二日より前に自主的に自身の船舶を移動していること(弁論の全趣旨)、富岡川地区原告らのうち右の四名を除く原告ら一一名については、被告が平成一〇年一月二二日に本件富岡川水面からその船舶を移動した事実が認められる(平成一〇年(行ウ)第一号事件の乙一)。被告は、それに先立ち、同月六日付けの「移動措置についてのお知らせ」と題し「横浜市の職員で貴殿の船舶を一時保管場所に移動すること。移動後は速やかに引取りに来られたい。」旨を記載した文書を富岡川地区原告らに宛てて郵送した事実が認められる(平成一〇年(行ウ)第一号事件の甲三)。
そして、移動された船舶のうち、原告山本泰治(原告番号42)、原告福与真司郎(同49)及び原告小林穣(同53)のものについては、同原告らにおいて保管施設から引きとり、本件富岡川水面に戻さずに他の場所に移動したこと、また、原告相庭基芳(同45)及び原告中井良明(同50)のものについては、再び富岡川に係留している事実が認められる(弁論の全趣旨)が、その後、被告がこれらの富岡川地区原告らに対し船舶の移動に関し、指導、勧告又は命令を発出した形跡はない。
もちろん、ここでも被告は即時強制をすることができるという立場でこれらの文書の配布及び措置を講じていたのではあるが、現時点で今後の被告の態度を予想すると、被告がこれら富岡川地区原告ら(現時点で船舶の係留されていない者も含む。)に対して、船舶の移動命令を発出するかどうかは不明に近いというべきで、その点は、被告の広範な裁量判断の下にあるというべきである。
4 まとめ
本件条例(特に一〇条)の解釈については、原告らからその条例制定権逸脱の主張がされているが、その点はしばらく措き、右1から3のような状況を前提とすると、被告に対して船舶移動の即時強制をしないようにすることを求める訴えは、予防的不作為訴訟の要件の第一を満たさないから、その余の点を検討するまでもなく、不適法といわざるを得ない。
なお、富岡川地区原告らについては、3のとおり既に一度船舶の移動措置が採られているところであるから、今後も被告が本件条例一〇条について文字どおりの解釈を前提にして、聖天川地区原告らを含む本件原告らに(原告漁友会は除く。)対し、指導、勧告又は移動命令を発し、その履行がないときには移動の即時強制を行う可能性もあるかもしれない。原告らはまさにそのことを懸念して本訴を提起していることが認められる。しかし、本件条例九条に規定されている指導及び勧告は、監督処分たる移動命令と同列に規定されており、これらについては、移動命令(監督処分)と同様にいずれも行政処分性のある行為と捉え、これについて取消訴訟及びこれを前提とする執行停止申立事件を提起する余地もあると解するのが相当である。さらに、万一被告が船舶移動の即時強制をするようなことがあっても、先の例からすると、移動させられた船舶の所有者は保管料を支払って引きとればよく、その船舶が所在不明や廃棄といった状態に追い込まれるものではないから、財産的被害は決定的に回復困難とまではいえない。したがって、右のような場合を想定しても、本件訴えは、予防的不作為訴訟の提起を認めるのに必要な第二の要件を満たすものとはいえず、やはり不適法といわざるを得ない。
三 結論
よって、原告らの本件訴えはいずれも不適法であるからこれを却下し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 近藤壽邦 近藤裕之)